読者への「あいさつ代わり」となった「0号目」。モノクロの写真(被写体はアンドレア・デ・チェザリス(故人)。金子博カメラマンのビジュアルが巻頭を飾るビビッドな誌面は業界を騒然とさせた。名物企画「ハイアングル」もこの号から始まっている。
86年4月に発行された、真の1号目。表紙には名もなきオフィシャルの姿を配して、これまた話題に。また巻頭にはホンダの活躍が期待されるF1開幕戦ブラジルGPを業界の常識をブチ破るスピードで速報記事を掲載、ライバル誌を慌てさせたという。
創刊2年目には日本でも本格的なレースブームに火が点き始める。フジテレビのF1全戦放映と中嶋悟のレギュラー参戦が始まり、秋には現在まで続く鈴鹿サーキットでのF1日本GPもスタート。もちろん本誌も大きく誌面を割いてその熱狂をレポート。
バブル期を迎え、日本ではF1をはじめモータースポーツが一大ブームに。日本車メーカーの活躍も続き、この年の第59回ル・マン24時間レースではマツダが悲願の初優勝を達成。月2回刊となっていた本誌でも2号にわたって詳報を掲載した。
創刊から8年、レース界と本誌に最大の衝撃が走る。世界中で人気を誇り、日本でも絶大な支持を得ていた王者アイルトン・セナがサンマリノGPでクラッシュ、事故死するのだ。本誌は誌面構成を急遽変更して巻頭で報じ、表紙写真を差し換えて対応。本誌ロゴも灰色とし弔意を示した。
セナの死から数カ月、レーシングオンは速報性を重視して隔週刊へ。判型もA4正寸となってロゴも激しいスタイルに。JTCC&JGTCの発足、関谷正徳によるル・マン日本人初優勝などビッグニュースを日本中のレースファンに届けた。
創刊から10年以上が経過し、モータースポーツは日本に定着。そんななかレーシングオンは92年限りでF1活動を休止していたホンダが近く復帰するという情報をキャッチ。極秘テストの模様が誌面にできるとわかった時点で表紙を差し替え、大スクープ号に。
レーシングオン創刊からの30年間は、それまでずっと不可能だと思われていたことがどんどん実現していった時期だった。たとえばこの「もてぎインディ(のちのインディジャパン)」初開催。日本で本格オーバルコースが建設され、インディカーレースが開催されることになるとは。
2004年ごろからレーシングオンは月刊スタイルで特集が主体に。なかでもグループCやバブル期のF1など、ちょっと懐かしい時代を回顧する特集がヒットを飛ばし、そのスタイルは現在まで継続。この号で創刊20周年と通巻400号を同時に到達。
創刊から23年を経てレーシングオンは定期刊行誌ではなくなり、特集を前面に押し出したムック本として生まれ変わった。より深く綿密に、よりボリューミーな特集を構築するべく2カ月に1冊(偶数月1日、隔月刊)の発行に。黒地バックの表紙デザインはこの号から現在まで継続中。