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三栄書房70周年特集
ライバルと共に

『レーシングオン』は今から31年前、1986年春に創刊されました。先行する『オートスポーツ(1964年創 刊)』『オートテクニック(山海堂:1969年創刊、91年廃刊)』の背中を追いかけながらも、後発ならではの気概とコダワリが創刊スタッフの脳内にはみなぎっていました。

創刊時、いや創刊前からスタッフが掲げていたのが「とにかくビジュアル重視」というコンセプト。カメラマンにも相談し、とかく報道性を要求されがちだったレース写真をイチから改革。レースの華やかさ、美しさ、ライブ感などを長い文章ではなく1枚の写真で伝えることを身上としました。実際、当初のレーシングオンはグランプリの速報へのトライや写真集企画はあってもレースレポートは載っていませんでした。これは当時のレース雑誌としては前代未聞、画期的なことでした。

雑誌のコンセプトや情熱、決意をレース界にいち早く知らしめるべく、創刊前には業界関係者向けに「プレ創刊号」が作られ、実際の創刊号の前にも一般向けに「000号」が発行されました。表紙にはモノクロのビジュアル写真。時は日本に「F1ブーム」「レースバブル」が訪れる、まさに“前夜”。その誌面づくりは旧来のモータースポーツファン、これまでのレース雑誌読者に大きな衝撃を与えました。

それからレーシングオンはホンダの初タイトル獲得や鈴鹿でのF1日本グランプリ初開催、中嶋悟のデビューからマツダのル・マン24時間レース初制覇など大きなニュースとともに順調に部数を伸ばし、直接のライバルであるオートスポーツと切磋琢磨するようにして隔週刊となったりふたたび月刊誌になったり、さらに2010年からは回顧主義を採って特集重視のムックとなるなど何度かそのスタイルを変更。「レースレポートよりもビジュアル重視」という創刊時に立ち戻ったコンセプトで現在も隔月刊誌(偶数月1日発行)として刊行中です。

2009年にはレーシングオンの出版元(創刊時は武集書房、のちにニューズ出版)とオートスポーツの出版元(三栄書房)が合併、かつてのライバルとはデスクを並べてともにモータースポーツを追いかける僚友となり、なんの因果か両誌は「姉妹誌」となって現在に至っています。

このように紆余曲折を経ながらも、レーシングオンは昨2016年に創刊30周年を迎えました。次の通過点は通巻500号。これからもレーシングオンは走り続けます。

ここではレーシングオンの30年史のなかから、ターニングポイントとなった10冊をご紹介します。

レーシングオン編集長 小嶋 穣

1986

レーシングオン
 No.000 “プレ”創刊号

読者への「あいさつ代わり」となった「0号目」。モノクロの写真(被写体はアンドレア・デ・チェザリス(故人)。金子博カメラマンのビジュアルが巻頭を飾るビビッドな誌面は業界を騒然とさせた。名物企画「ハイアングル」もこの号から始まっている。

レーシングオン
 No.001 本当の創刊号

86年4月に発行された、真の1号目。表紙には名もなきオフィシャルの姿を配して、これまた話題に。また巻頭にはホンダの活躍が期待されるF1開幕戦ブラジルGPを業界の常識をブチ破るスピードで速報記事を掲載、ライバル誌を慌てさせたという。

1987

レーシングオン
 No.021 鈴鹿でF1日本GP初開催

創刊2年目には日本でも本格的なレースブームに火が点き始める。フジテレビのF1全戦放映と中嶋悟のレギュラー参戦が始まり、秋には現在まで続く鈴鹿サーキットでのF1日本GPもスタート。もちろん本誌も大きく誌面を割いてその熱狂をレポート。

1991

レーシングオン
 No.102 マツダ、ル・マンで優勝

バブル期を迎え、日本ではF1をはじめモータースポーツが一大ブームに。日本車メーカーの活躍も続き、この年の第59回ル・マン24時間レースではマツダが悲願の初優勝を達成。月2回刊となっていた本誌でも2号にわたって詳報を掲載した。

1994

レーシングオン
 No.167 アイルトン・セナ墜つ──

創刊から8年、レース界と本誌に最大の衝撃が走る。世界中で人気を誇り、日本でも絶大な支持を得ていた王者アイルトン・セナがサンマリノGPでクラッシュ、事故死するのだ。本誌は誌面構成を急遽変更して巻頭で報じ、表紙写真を差し換えて対応。本誌ロゴも灰色とし弔意を示した。

レーシングオン
 No.170 判型と編集方針が変更

セナの死から数カ月、レーシングオンは速報性を重視して隔週刊へ。判型もA4正寸となってロゴも激しいスタイルに。JTCC&JGTCの発足、関谷正徳によるル・マン日本人初優勝などビッグニュースを日本中のレースファンに届けた。

1998

レーシングオン
 No.264 ホンダF1活動をスクープ

創刊から10年以上が経過し、モータースポーツは日本に定着。そんななかレーシングオンは92年限りでF1活動を休止していたホンダが近く復帰するという情報をキャッチ。極秘テストの模様が誌面にできるとわかった時点で表紙を差し替え、大スクープ号に。

レーシングオン
 No.266 もてぎでインディ初開催

レーシングオン創刊からの30年間は、それまでずっと不可能だと思われていたことがどんどん実現していった時期だった。たとえばこの「もてぎインディ(のちのインディジャパン)」初開催。日本で本格オーバルコースが建設され、インディカーレースが開催されることになるとは。

2006

レーシングオン
 No.400 本誌通巻400号に到達

2004年ごろからレーシングオンは月刊スタイルで特集が主体に。なかでもグループCやバブル期のF1など、ちょっと懐かしい時代を回顧する特集がヒットを飛ばし、そのスタイルは現在まで継続。この号で創刊20周年と通巻400号を同時に到達。

2009

レーシングオン
 No.443 隔月刊のムックに

創刊から23年を経てレーシングオンは定期刊行誌ではなくなり、特集を前面に押し出したムック本として生まれ変わった。より深く綿密に、よりボリューミーな特集を構築するべく2カ月に1冊(偶数月1日、隔月刊)の発行に。黒地バックの表紙デザインはこの号から現在まで継続中。

戦前のモーターファン

三栄書房が誕生する20年以上前「モーターファン」は創刊されたが、第二次世界大戦の物資統制でやむなく休刊となる

三栄書房誕生

敗戦ですべてを失った日本。まだ混乱が収まらないなか、産業復興の一助となるべくモーターファンは復刊された

時代とともに

モータリゼーションの加速から自動車レースへの期待が高まり、モーターファン別冊オートスポーツが誕生した