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文:高橋 剛 バイクから得られるもの。学べること。

  • 2017/10/02
  • ゲッカンタカハシゴー編集部
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いつまで自然のなか、社会のなかでバイクに乗っていられるだろう……

2011年3月11日14時46分、僕は群馬県にいた。スズキMotoGPマシン開発ライダー青木宣篤さんの自宅で、取材させてもらっていたのだ。激しい揺れに、青木さん一家と庭に飛び出した。長く、大きな揺れが収まり、安全を確認してから家の中に戻ってテレビを点けると、そこには現実とは思えないほど壮絶な光景が広がっていた。

 それからわずか4日後、3月15日にバイクに乗る雑誌仕事があった。「ちょっと待て」と思った。今、バイクなんかに乗ってていいのか……?
 東日本大震災の被害が、まだ拡大している最中だった。自分の生活そのものもどうなるか分からない。スーパーからは、暴動に遭ったかのように食品が消え、トイレットペーパーが消えた。それでも、埼玉での自分の暮らしは概ねどうにかなりそうな兆しが見え始めていたが、あまりに甚大な被害や被災地の人たちが置かれている状況を考えると、気分的にはバイクに乗るどころではなかった。正直なところ、乗りたくなかった。何しろガソリンの供給さえままならなかったのだ。

 その思いを、率直に編集部にぶつけた。「バイクに乗ってていいのかな」と。すると「そうなんですよ」と編集者は言った。「バイクなんか乗ってる場合かなって、ボクも思います。でも、自分たちの仕事を淡々とやることが、今は大事なのかなって」。その通りだった。僕が打ちひしがれていたところで、誰も何の得もしない。それより、いつも通り脳天気なバイク雑誌を刊行することで、誰かの何かの役に立つ──例えば、深刻な事態でも少しでも明るい気分になるとか──かもしれない、と思い直した。

 職業人としての自分を納得させることはできた。でも、素の自分を納得させるのは難しかった。数人で、数台の250ccバイクを走らせる仕事だったが、気分はまったく落ち着かず、ちっとも楽しくなかった。「何だろう」と僕は考え続けていた。「バイクって乗り物は、何なんだろう」と。凄まじい大自然の脅威に直面しながら、それでもなお乗る価値のあるものなのか。価値があるとしたら、それは何なのか。「風を切って気持ちいい」とか、「バンクさせて走るから楽しい」とか、そんな理由だけで乗っていていいとは思えなかった。バイクという乗り物の存在について、いろいろな角度から考えていた。

 その日、家に帰るとすぐに、僕は自分のブログを更新した。

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僕たちは、安全のもろさを知っている。
僕たちは、危険と付き合う強さがある。
僕たちは、現実を直視する勇気がある。
僕たちは、先を読みながら行動できる。
僕たちは、バランスを取る能力がある。
僕たちは、今やるべきことに集中できる。
僕たちは、状況の変化に素早く対応する。
僕たちは、困難の中で正しく判断できる。
僕たちは、痛みを共有し仲間を思いやる。
僕たちは、苦境でも笑える明るさがある。

僕たちは、バイクから多くを学んでいる。

自戒と、希望を込めて。
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「僕たち」とは、もちろんバイク乗りのことだ。そしてこれは、とてつもない天災に見舞われながらもバイクに乗らせてもらうための世の中への言い訳だった。バイクに乗ることには、いろいろな価値、いろいろな効能があると言いたかった。誰に向けて書いたわけでもなかったし、場末のブログに書いたところで意味があるとも思わなかった。自分の気持ちを整理するために書き殴りながら、バイクに乗ることを許してほしかった。

 つまりバイクに乗ることに対して、僕は強い罪悪感を感じていたのだ。東日本大震災をきっかけに噴き出たけれど、それはたぶん、ずっと心の奥底に潜んでいた感情だった。自分自身も決して褒められた乗り方ではないことを含め、ライダー全般を眺めながら「これはどうなんだろう……」と思うことが多々あった。自分の好みとは別に、「こんなバイクを作って、売ってていいのかな」と思うバイクも多かった。そして、死んでいった仲間たちのことはいつも胸の深いところに突き刺さっていた。「これじゃ世の中に対して申し訳が立たないな」と、どこかで強烈に後ろめたさを感じていたのだ。「バイク業界には繁栄してほしい。でも、果たしてそれが社会全般にとっての利益になるのだろうか?」と。バイクは世の中に求められているのだろうか?

 何の足しにもならない無為さが、バイクの魅力のひとつだということも十分に理解している。僕自身、バイクが単に役立つだけの乗り物だったら、これほど惹かれていないだろう。無駄なことや無意味なことの中にだって、大いなる価値があるものだ。でも、それにしても、公共の道路を走る乗り物として、趣味性ばかり追い求めるのはあまりに自己満足に過ぎる。「ボクは/ワタシはバイクが好きだ」と熱く叫ぶのはいいが、その叫びが世の中にどう受け止められているかを冷静に考えなければ、ただの雑音になる可能性すらある。「好きだ」の先に、どういうメリットがあるかを考え、訴えなければいけないんじゃないか……。

 そんな風に考えながら、上記のブログを書いた。キリがいいので項目数は10にしたが、書きながら「こんなのは、バイクから得られるもの・学べることのごくごく一端に過ぎないな」と分かっていた。しかしそれと同時に、多くのバイク乗りたちが、特に発信力のあるメディアに携わる人たちが、ただ「走りが気持ちいい」とか「ツーリングが楽しい」とか「乗れば分かる」とか「ボクは/ワタシはバイクが好きだ」と内に向けて言うだけではなく、自分たちなりの「バイクに乗ることによる利益・効能」を外に向けて伝えていくことが、バイクという乗り物の社会的地位を(少しずつでも)押し上げていくようにも思っていた。

 あれから6年以上の時が流れた。世の中も変わった。そしてバイクの社会的地位は、上がっているようには思えない。そして、あの時とは少し異質な後ろめたさを抱えながらも、僕はまだ「バイクには存在価値がある」としつこく信じている。いったい、何を根拠に……? 2011年3月15日に半ば衝動的に書いた10個の「バイクから得られるもの・学べること」 の中に、いくらかの理由が隠されているように思う。これから、ひとつずつ解き明かしていきたい。

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