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すべてはここから始まった。ベスパがペスパを生み出す前のモデル、MP6 Prototype。|1945年/Vespa大全

  • 2019/09/24
  • MotorFan編集部 大家 伝
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ベスパが世にデビューする以前に用意されたプロトモデルの存在をご存知だろうか? ベスパを設計したコラディーノ・ダスカニオが手がけたベスパの前身であり、このプロトモデルがリファインされてベスパが完成していったんだと頷ける完成度の高さを目撃してほしい。
TEXT●大家伝(OYA Den)

天才設計技師の参加でプロジェクトは加速

Corradino D’Ascanio(コラディーノ・ダスカニオ):ヘリコプターの生みの親にしてベスパの生みの親でもある天才設計技師。写真はイタリア・ポンテデラにあるピアッジオ・ミュージアム(MUSEO PIAGGIO)で、コラディーノ・ダスカニオ展が行われた際のMP6と本人写真
 コラディーノ・ダスカニオが新型2輪車の開発に着手したのは1945年。当時のピアッジオ社の社長だったエンリコ・ピアッジオ(Enrico Piaggio)の命を受け手のことだった。そしてその年の終りが近くなったころ、後に「ベスパ」と命名されていくことになる乗りモノのプロトモデルが完成した。そのプロトモデルでは、「女性が跨がらずに乗り降りでき、かつ足を揃えて乗ることができる乗りモノ」というコンセプトが具現化されていた。つまりベスパのベスパたる思想が、この時初めて"カタチ"となったワケである。それこそがコラディーノ・ダスカニオの生み出したMP6である。

 このMP6はモノコック構造とされていたことも注目ポイントと言える。じつはピアッジオという企業は航空機製造メーカーであったため、モノコックはお手のもの。だからこその発想であり、持てる技術力と大型プレス機を備えていたことで実現できたモノコックボディなのである。そしてモノコックボディはその後70年以上も一貫して採用され続け、ベスパのアイデンティティにもなっているのは「ベスパ大全/序章」でも触れているとおりである。
 MP6の写真からはモノコック構造によるボディ、フロントのレッグシールド、フロントの片持ち式サスペンション、オフセットされたエンジン搭載位置といった、その後のモデルに踏襲されていく特徴を確認できる。それだけプロトモデルの段階で完成の域に達していたことがうかがえる反面、このまま量産型市販モデルとはならなかったことが気になってしまう。推測になるがマイナスネジでしっかりと固定されたエンジンフードであること、そのエンジンフードには走行風を取り入れて吐き出すスリットが多く見られることが理由ではないかと思われる。
 まず、固定されたエンジンフードでは整備が容易ではない。整備性の向上は要改善点であったハズだ。ちなみにエンジンフードの固定以外にもマイナスネジは多用され、もっと言うと古い時代のベスパにもかなりの確率でマイナスネジが使われている。例えば古いベスパを手に入れてレストアしてみようという場合、マイナスネジを使うのはポイントの一つとなるので覚えておいて損はない。話を戻そう。エンジンフードのスリットの多さだが、これは熱対策が目的であると想像できる。これらの問題を解決するためにエンジンフードは開閉式となり、エンジンは強制空冷方式による熱対策が施された。

 結果としてMP6はプロトタイプという位置付けに収まることになり、その完成からおよそ半年後の1946年4月に量産型市販モデルとして最初の15台を発表している。これも推測になるが、半年で発表用の15台を用意するというのは当時の状況を鑑みると異例のスピードである。量産市販型の第1号モデルが正式に何台あったかは不明だが、MP6を手直しした程度の車両も含んでの15台だったのではないだろうか。

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