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量産初の並列4気筒車となった、ホンダCB750フォアを知る。|旧車探訪記①-1

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モーターサイクル・オブ・ミレニアムでナンバー1を獲得

並列2気筒の不振を経て、並列4気筒が誕生

ライター:中村友彦

並列2気筒の不振を経て、並列4気筒が誕生

 1959年から世界GP(現代のMotoGP)への挑戦を開始したホンダは、1966年にサイドカーを除く全クラス制覇を実現している。当時のホンダ製ファクトリーレーサーの特徴は、“時計のように精密”と称された超高回転指向の4スト多気筒エンジンで、’66年のRCシリーズは、50cc:並列2気筒、125cc:並列5気筒、250/350cc:並列6気筒、500cc:並列4気筒を搭載していた。

 言ってみれば1960年代中盤のホンダは、4スト多気筒のノウハウを手中にしていたのだ。にも関わらず、CB450が並列2気筒を採用した理由は、あえて少ない排気量で、欧米の500~650ccの2気筒勢を打倒するためで、最高出力:43ps、最高速:180km/hというCB450の公表値は、同時代の欧米の旗艦とほぼ互角だった。ただし、低速トルクの細さとそれに伴うギアチェンジの多さが問題視され、海外での販売は苦戦。となれば、次は並列2気筒の排気量拡大版という発想が浮かびそうなものだけれど、当時のホンダに2気筒に対する執着心はなかったし、2気筒の大排気量化に伴う振動の増大には疑問を持っていた。こういった経緯を経て、新世代の旗艦への導入が決定したのが、ホンダならではの技術力をきっちりアピールしながら、既存の2気筒勢とは一線を画するスムーズさとパワフルさが実現できる、並列4気筒だったのだ。

ホンダの創業者である本田宗一郎は、CB750フォアのプロトタイプを初めて見たとき、“こんなデカいオートバイに、誰が乗るんだ?”と言ったらしい。でも1990年代以降に登場したビッグネイキッドの基準で考えるなら、乾燥重量:220kg/軸間距離:1455mmのCB750フォアは、そんなにデカくはない。ちなみに並列4気筒CBシリーズで最も巨漢だった1998~2002年型CB1300SFは、246kg/1545mm。

 CB750フォアが世界中で爆発的なヒットモデルになったことは、日本人にとっては喜ばしいことである。でも古くから大排気量車の世界を支配して来た欧米のメーカーにしてみれば、CB750フォアはやっかいな存在だったに違いない。もっともBMWやモトグッツィ、ドゥカティ、ハーレー・ダビッドソンなどは、1970年前後に独自性を強調したニューモデルを発売して、何とかCB750フォアに対抗したものの、1940~60年代に我が世の春を謳歌し、大排気量車の世界で絶大な人気を誇っていたイギリスのBSA/トライアンフとノートンは、CB750フォアの人気と反比例するかのように、1970年代に入ると販売台数が激減。しかもCB750フォアに続く形で、1972年には2スト並列3気筒のスズキGT750とカワサキ750SS、1973年には4スト並列4気筒のカワサキZ1(900cc)が登場したのだから、当時の欧米メーカーはたまったものではなかっただろう。いずれにしてもCB750フォアの登場を契機として、以後のビッグバイク市場は日本製多気筒車が覇権を握ることになったのである。

ライター:中村友彦

NAKAMURA Tomohiko:これまでに10台以上のCB750フォアを試乗している、2輪雑誌業界23年目のフリーランス。若い頃から旧車は大好きで、現在は1974年型モトグッツィV850GTと1976年型ノートンコマンド850を愛用。かつては1974年型トライアンフT140ボンネビルや、1979年型カワサキZ1000MkⅡなどを所有していた。

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