熊倉重春のテクノロジー悲喜交々:第4回 熊倉重春の「自宅にハイブリッド車が3台」──ハイブリッドと過ごした年月
- 2018/10/06
- Motor Fan illustrated編集部
ライバルなしで進化したプリウス
トヨタ・プリウスの発売と同時に飛びついて、さんざん乗り回したことについては、ちょっと前に書いた。それはそれなりに愉快痛快で飽きることのない毎日だったのだが、さすがに5年も乗り続けると、新しい刺戟にも興味が湧く。何かおもしろいことはないかと考えあぐねていた2003年の秋、そのプリウスがフルモデルチェンジを迎えたので、またも飛びついてしまった。
本当は、プリウスからプリウスに乗り継ぐつもりではなかった。と言うのも、世の中の移り変わりは予想を上回って早い。よくクルマ雑誌の新年号などで、「10年後のクルマ界を予想してください」などと注文されることもあるのだが、私は応じたことがない。何も見当がつかないからだ。プリウス自体からして、そうじゃないか。あれが発売されたのは1997年だったが、その10年前、1987年にそんな時代の変化を読み切れたかと言うと、いくら希望的観測が得意で、いつも夢ばかり語っている私でも無理だった。だから初代プリウスと暮らしはじめたころも、「今は驚いてるけどね、あと2年もしたら、そこらじゅうハイブリッドなんて世の中になってるんだよね」とか、冗談めかして言っていたものだ。ところが実際にはプリウスが孤塁を守る形勢が2003年まで続いたまま、その第二弾が現れるという。しかも長足の進化だという。こりゃ放っておけんとばかり、地元の東京トヨタに駆け込んだわけだ。
呆れるほかない完成度
その2代目プリウスは、私の期待を大きく上回る大傑作車だった。少なくとも、機械としては大進歩だった。基本的に初代から受け継がれた1NZ-FXE型の77psエンジンと68psの交流同期モーターのコンビは力持ちで、さほど頑張っているふうでもないのに、常にピュッと先頭に立ってしまうのだった。脚の完成度も高く、GTの走りという事前の噂も本当だった。私自身、納車の日にそのまま遠出し、空いた峠道で険悪なフェアレディZ(エアロパーツ満載でぶっといタイヤの)から悪質なあおり運転の洗礼を食らったが、ちょちょいのちょいと踏んだら、たちまち敵はミラーの彼方に消え去ってしまった。コーナーのたびに、タイヤは悲鳴を挙げっぱなしだったが、無様なアンダーステアを呈する気配などなかった。つまりクルマとして客観的に優秀だった。そのうえ燃費も、給油のたびに20km/L以上を記録し続け、条件さえ良ければ涼しい顔で30km/L以上をマークするなど、初代より大幅に進化していた。
燃費に関しては、こんなこともあった。車体が少し大型化した2代目プリウスは、おかげで5ナンバーの枠からはみ出して、そこが私には気に入らなかったのだが、輸出モデルには好都合だった。それは主にアメリカでのことで、初代のころから人気俳優が好んで乗り回し、イベントなどに現れたりして注目だったものが、さらにサイズに余裕が生まれたとして人気に火が付いた。そのころイベリア半島を旅行したら、マドリードやリスボンで、特に珍しくもなく2代目プリウスのタクシーが走り回っているのを発見した。当時EUに加盟したばかりのスペインやポルトガルは経済発展の前段階で所得が低かったから、クルマ社会でも小型車が主役であるばかりか、使い方もみみっちいものだった。月給制の場合、給料日に満タンにすると10日間ほどあちこち走り回るが、あと20日間は車庫にしまいっぱなしにするのが普通だという。無理もない。所得が低くても石油価格は国際相場に左右されるから、どうしても贅沢品になる。家計の水準から見たガソリン価格を日本式に飜訳すると、レギュラーガソリン1Lが300円かそれ以上にもなる。だからといってタクシーが休むわけにはいかないし、フィアット・パンダみたいな超小型車でも困る。日本のように軽油が大幅に安いわけでもないから、ディーゼル車のメリットもない。そこへ発売されたのが2代目プリウス。EU式の実用的な計測法で22.355km/Lを謳われればパッと飛びつかずにはいられないじゃないか。
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