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初代マツダ・サバンナRX-7のパッケージング RX-7誕生に至るまでの試行錯誤 ロータリーエンジンの可能性③

  • 2020/04/19
  • Motor Fan illustrated編集部
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マツダ初代RX-7

真っ暗なステージの上にレーザー光線が交錯し、高まるドラムの音の中、ドライアイスの煙の中にスポットライトを浴びてRX-7が浮かび上がった。その瞬間会場全体は形容の仕難い異常なまでの興奮の坩堝と化した。会場の出席者は全員椅子の上に立ち上がり、抱き合い、歓声をあげていた。
(1978年5月RX-7米国導入プレゼンテーション光景)
元マツダのエンジニアでRX-7(初代SA型/3代目FC型)のプロダクト・プランナーだった須藤將氏が初代RX-7誕生の秘話を語った。

TEXT:須藤 將(Susumu SUTO)
PHOTO:マツダ ILLUSTRATION:寿福隆志(Takashi JUFUKU)

1978年3月に発売されたSA22Cに搭載された12Aエンジンは、フェニックス計画によって大幅に燃費を向上させたものであった。エンジン総排気量は573ccx2で、9.4:1の圧縮比、4バレル・2ステージ複合キャブレターを備え、最高出力(グロス)130ps/7000rpm、最大トルク(グ ロス)16.5kg-m/4000rpmの性能を発生した。

 コスモスポーツの生産が始まった翌年の1968年11月に、次世代コスモスポーツの検討を行なうX809プロジェクトがスタートした。このプロジェクトは、1970年が東洋工業(現マツダ)の創立50周年にあたることからそれを記念するモデルとして、1969年にはX810に発展した。

 X810は、記念モデルとしてはロータリー・エンジン(以下RE)のコンパクトさを生かしたリヤ・ミッドシップとしてスタートするが、将来の生産モデルは必ずしもリヤ・ミッドシップには限らないとされていた。このX810は、1970年の東京モーターショーにRX500として発表された。

 一方で、X810プロジェクトは、引き続き生産モデルの検討をするために、X810-IIとなり、1970年前半にRS-Xプロジェクトと改称された。RS-Xは、RX500の流れを受けたリヤ・ミッドシップとフロント車軸より後方にエンジンを搭載するフロント・ミッドシップの長所短所が検討された。

 パッケージング上では、どちらもREのコンパクトさを生かすことができるが、レシプロエンジンではできないパッケージングがフロント・ミッドシップであることが判明した。

 すなわち、12Aと同等の130psを発生するレシプロエンジン(直6)をフロント・ミッドシップにレイア ウトするとダッシュボード(ファイアウォール)が後退し、ホイールベースが長くなりすぎることと、ダッシュボードを同じ位置にして、エンジンを前進させると50:50の重量配分が実現できないフロントヘビーになることであった。また、リヤ・ミッドシップの駆動系(トランスミッション/デフ)が新設計になることなどで大幅に生産コストがかかる一方、フロント・ミッドシップでは他車の既存コンポーネントが流用できるメリットが大きい。

 そこで、RS-Xはフロント・ミッドシップで開発することになった。

 月産300台、スポーツカーの大きな市場である米国で、5800~7000ドルで発売する計画であった(大衆車のファルコンが2500ドル前後であった)。

 エンジン・ミッションはファミリアロータリークーペ/カペラロータリークーペの10A/12A&ミッシ ョン、フロント・サスペンションはファミリア・ピックアップのダブルウィッシュボーン、リヤ・サスペンションはボンゴのセミ・トレーリングアーム、ファイナルドライブ・ユニットはコスモスポーツのものを流用。ホイールベース2400mm、トレッド1350mm~1400mm(これらは操縦安定性実験からでてきた値)、ホイールは13インチと定められてパッケージン・レイアウトを行なった。

 RS-Xを検討している最中の1969年10月に、日産自動車が米国市場にダットサン240Zを3500ドルで導入、米国スポーツカー市場を席巻した。

 これを受けて、1970年8月、再度RS-Xの見直しが図られ、「大衆向けの廉価版スポーツカー」X020プロ ジェクトが発足した。X020は、アフォーダブルプライスということで、3500ドル以下を目標にパッケージングを行なった。ベーシックモデルはリヤ・サスペンションにリジッド・アクスル、上級モデルは独立懸架とした。さらに、2シーターと2+2シーターモデルを設ける。

 こうした検討も陽の目を見ることはなかった。

 1971年、クルマの安全性と排気ガス問題が大きくクローズアップされ、その課題を解決することが、自動車メーカーの責務であり、企業を永続させることにつながるということになり、X020プロジェクトは凍結され、安全車の開発に変わった。

 1973年末に生じた第一次エネルギー危機で、安全車の開発も中止となった。

 RE搭載車が、米国でガスガズラーの烙印を押されてさっばり売れなくなって、急速に悪化したマツダの経営環境の中でREの存続にする激しい論議が繰り広げられた。

 マツダ経営陣は「REの存続はメーカーの社会的責任であり、すでにロータリー車を愛用していただいている顧客への信義の問題でもある。一日も早く、ガスガズラーの汚名を返上しよう」と断を下した。

 マツダは、1974年に燃費40%改善のための5カ年計画を立てた。その計画は「フェニックス計画」と呼ばれた。焼かれても、その灰の中から蘇るあの不死鳥の名をとったものである。技術者達の損得を忘れたありとあらゆる挑戦が続けられていった。いつしか技術者達の間から不屈の精神「ロータリースピリト」なる言葉が生まれていた。

 当時、米国はニュージェネレーションであるベビーブーマーが台頭しつつあった。そのベビーブーマー層にマスタングやカマロなどのポニーカーが受けて大ヒットしていた。それらは、大衆車であるコンパクトカーをベースに開発されており、ベース車の価格の約1.5倍で売られていた。また、ニュージェネレーションでは、ウーマンズレボリューションで台頭してきた女性層がこうしたポニーカーの購買層としての地位を占めつつあった。米国での調査結果では、そうした女性層は、ポニーカーよりも1サイズ小さい、 キュートでセクシーなスポーツタイプのクルマを欲していた。

 米国での現地調査を行なった花岡常務は、住友銀行の巽常務の意も受けて、経営会議でRE・スポーツカーをアメリカ市場に投入すべきと主張した。これは、開発本部長山本健一の提案とも一致した。RE・スポ ーツカーの開発が承認され、そのプロジェクトはコ ードネームX605と呼ばれた。

ロータリーエンジンのコンパクトさを生かし たフロントミッドシップ。理想的な前後輪の50:50に近い重量配分。低いボンネットラインとすぐれた空力持性を持ったユニークなスタイル。それがSA22Cのエンジニアリング・コンセプト。

 X605(SA22C)は、新しくチーム編成されたメンバーで、X020プログラム凍結以前にまとめ上げたコンセプトや基本レイアウト、主要訴求ポイントなどの見直しが行なわれた。その結果、605は、ほとんどX020プログラムの成果をそのまま活用できることが分かった(X020の企画が正しかったことの証明でもある)。

 国内向けは2+2シーターとなった(後にアメリカでも、モータースポーツのホモロゲーションの関係で2+2シーター・バージョンが必要になった)。

 2+2シーターと50:50の重量配分の実現がパッケージングの課題となった。スポーツカーは、基本的なパッケージングでスポーツカーとしての性能が決まる。優れたハンドリング性能を得るためには、国内で5ナンバークラスの車幅からトレッドは1400mm前後となることから、ホイールベースが2400mmあたりが最適値である。

 50:50の重量配分とヨー慣性モーメントをできるだけ小さくするには、フロント車軸より後方にエンジンを搭載するフロント・ミッドシップ・レイアウトは必須である。そうした条件の下で、2+2シーターのパッケージングを実現しなければならない。

 +2の後部座席は、日本人の平均的女性(JF50%タイル)の居住空間を確保することを目標に、レイ アウトの検討が進められた。

 2+2シーターは、国内向けであることから、対米2シーターが米国人男性の90%をカバーする(AM90%タイル)レイアウトからフロント・シートを日本人男性の90%をカバーする(JM90%タイル)スライド量にすれば、対米モデルから80mmの前後寸法が生まれる。

 デザイナーが描いているイメージスケッチのルーフからリヤに流れるキャノピー・ラインを実現するためのリヤ・シート着座位置を検討した。

 そのためには、フロント・シートのAM90%タイルのヒップポイントを極力下げてルーフ高さを決めて、リヤ・シートのJF50%タイルのヘッドクリアランスをキャノピー・ラインから確保した着座姿勢を検討して、2+2シーターを可能にした。

 2+2シーターのパッケージングがかたまり、レイアウトの詰めを行なっていたとき、リヤ・サスペンションをどのような配置にするか問題になった。形式はターゲット・コストと性能からRX-3レーシングバージョン(スカイラインの50連勝を阻んだ常勝レーシングカー)の4リンク+ワットリンクを採用することが決定していた。この4リンク+ワットリンクをそのままの配置でレイアウトしたら安全性上問題が生じた

 後部衝突要件でガソリンタンクから衝突時燃料漏れの恐れがあることが判明。これをクリアするためには、ガソリンタンクの前後にクラッシュ・スペースを設ける必要がある。RX-3レース仕様のワットリンクはデフ・ケースの後部中央にピボットが溶接されていた。これでは、クラッシュ・スペースを稼ぐことができない上、衝突時にはピボットがガソリンタンクに食い込み燃料漏れが生ずることが予測された。これを解決するには、ワットリンクのレイアウトを変更するか、デザイナーが描いているイメージスケッチのショート・テールを変更してロング・テールにするかである。

 ロング・テールにすると、デザイン上のキュートなイメージが損なわれる上に、ガソリンタンクという重量物が重心より後部に移動することにより慣性モーメントが大きくなり、操縦性能に影響がでる。

 そこで、ワットリンクのレイアウトを変更し、デファレンシャル・ケースの前部右側にピボットを設けることにした。デフ・ケース前部中央部は、ピニ オン・シャフトがありピボットを設けることができない。右側にオフセットさせたのだが、ロッドが非対称になった。このレイアウトで先行実験を行なったところ、車体がロールしたときに、車体と後輪の左右方向のバランスが崩れてしまう。

 そこで、デフ・ケースの前部中央部を避けて右側にピボットを設けることとなり、ロッドが非対称になった。このレイアウトでは、車体がロールしたとき、車体と後輪の左右方向のバランスが崩れてしまう。検討を重ねた結果、左右のアーム長が異なっても、取り付け位置を選べばピボットが直線で上下することが分かった。

 低重心化を図るために、ロータリーエンジンの搭載位置を下げ、RX-3からボンネットラインを100mm下げた。これは、スタイリングにも好影響を与えることになった。

2008年4月に発行されたMotor Fan illustrated Vol.19「ロータリー・エンジン 基礎知識とその未来」より

 次回は、「ロータリーエンジンの特徴的構成部品」についてです。お楽しみに!

SA22C (RX-7)
全長×全幅×全高(mm):4285×1675×1260
ホイールベース(mm):2420
トレッド前後(mm):1420/1400
車重(kg):985-1015
エンジン:12A型

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