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フォルクスワーゲンが生まれた日〜1945年4月の物語

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1945年、フォルクスワーゲン工場の責任はイギリス軍政府に移された。Control Council Act No. 52に従って会社は接収、ドイツ人に返還されるまで委託生産された。

VW(フォルクスワーゲン)グループは、新型コロナウィルスによる感染症(COVID-19)の蔓延を受けて停止している生産活動の段階的再開を発表した。本社のあるウォルフスブルクの工場も4月27日の週には一部で生産を開始する模様だ。じつは、ことし4月はVWにとって記念すべき節目でもある。75年前の1945年4月11日、当時「KdFワーゲンの町」と呼ばれていた、のちのウォルフスブルクに連合軍が侵攻した。75年前を振り返る物語がVWからメールで届いているので、筆者の和訳(少々意訳あり)にて以下にお届けする。
TEXT:牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

 75年前の1945年4月11日、米軍はKdF(歓喜力行団)ワーゲン(クルマ)を生産する町として知られ、のちにミッテルラントカナルの南にあるヴォルフスブルクと名付けられる町と、そこにあったフォルクスワーゲンの工場を解放した。フォルクスワーゲン工場では約7,700人の強制労働者が解放された。

 その後の8週間で、アメリカ人は市民、都市、工場の将来について画期的な決定を下した。米国の軍事統治が、この地域の民主主義、自由および復興の基礎を築いたのだ。1945年5月には、工場はすでに自動車を生産していた。当時「フォルクスワーゲンジープ」と呼ばれていた米軍向けのキューベルワーゲン(Kübelwagen:Type 82)である。アメリカによる占領は、この地域がイギリスの占領地帯の一部となった1945年6月末に終了した。

フォルクスワーゲン発電所を背景にしたヴォルフスブルク駅の米軍。

 4月10日、ドイツ軍向けの最後の50台のキューベルワーゲンがフォルクスワーゲン工場で完成した。この日、警報により米軍の戦車がこの地域に進入したことが告げられた。1944年の空襲によって大部分が破壊された工場は、合計66,285台で戦時中の生産を終了したのである。

 4月11日、米軍はミッテルラントカナルのこの町と工場を解放した。軍はファッテルスレーベンからミッテルランドカナルに沿ってヘスリンゲンの元の橋まで、ドイツ軍の軍事抵抗に遭遇することなく街中を進んだ。同じ日、米軍はザルツウェデルとエルベ川に向かって前進した。米陸軍が使用していた地図には、KdFワーゲンの町やVW工場は載っていなかった。

フォルクスワーゲンの工場は、1944年の空襲によって大部分が破壊された。

 VW工場がある町に一時的な権力の空白が生まれた。米軍の侵攻の前にドイツ武装親衛隊とVWの治安部隊は逃亡していた。VW工場に勤務していた強制労働者と捕虜に、苦痛の終わりが訪れた。彼らは空腹であり、彼らが直面していた苦しみと不正義に対する彼らの怒りは解放され、略奪、破壊、暴力の事例がいくつかあった。秩序を維持するために、強制労働者はフランスの捕虜およびVW工場で働くことを余儀なくされたオランダ人学生からなる暫定保安チームを結成した。彼らは工場で武器と車両を入手し、工場内の消防事務所を本部として使用した。

 VW工場の発電所長であるフリッツ・クンツェは、地元のナチス親衛隊指揮官からの「発電所と橋を爆破せよ」という命令を拒否していた。発電所は必要なインフラであることを知っていたクンツェは、発電所が何らかの妨害行為によって被害を受けないよう、クルマでファラースレーベンに残っている米軍部隊に向かった。ほかにも英語を話す2人のエンジニアと、カトリックの司祭である父(後のモンシニョー)アントニウスホリングも同行した。彼らは、米軍に「軍事的存在を示してもらう必要がある」と考えていた。

発電所と港があるフォルクスワーゲン工場。
第二次世界大戦中のエンジン組立ての強制労働者。
第二次世界大戦中にソビエトの強制労働者がシュヴィムワーゲンの組立ラインにいた。

 4月15日、米軍は工場と都市を占領し、自任のVW自警団員を武装解除し、管理の責任を引き受けた。第9軍の参謀など将校も4月15日まで徐々に到着した。その後、強制収容所の約5,000人を含む約20,000人が旧フォルクスワーゲンヴェルクGmbHで働くことを余儀なくされた。1944年に工場で働いていた人々の3分の2がナチスによる人種差別によって、彼らの意志に反してそこにいた。彼らには、ユダヤ人の女性と男性、捕虜、徴兵された労働者、ならびにドイツの占領下にあるヨーロッパ諸国からの強制送還および強制退去させられた人々が含まれていた。

 また、解放の日には、約9,100人が工場で働いており、そのうち7,700人以上が他国からの強制労働者だった。 3,000人の最大のグループは、おもにソビエト連邦のウクライナから来ていた。米軍はギフホルン周辺に住むすべての難民の収集場所としてヴォルフスブルクを設立し、彼らの本国送還を行うことにした。1945年4月と5月、最初の列車はおもに屋根のない無蓋車で構成され、元強制労働者の母国に向けてヴォルフスブルク駅を出発した。彼らの一部は、ドイツ人の脱走者または協力者の疑いがあるとしばしば見なされていたため、母国に戻ったとき屈辱と迫害に直面した。

1945年4月の解放後のフォルクスワーゲン工場。

 米軍はウォルフスブルクとして知られていた「Stadt des KdF-Wagens」にマギストラット(市政)とStadtverordnetenversammlung(市議会)を備えた最初の民主的な政府を置いた。5月25日の最初の会議で、市議会のメンバーは、市の名前を「ウォルフスブルク」に戻すことを決定した。町はその提案を受け入れ、かつてKdFワーゲンの町だった都市は、1302年のヴォルフスブルク城からその歴史的な名前をもらったのだ。

 VWの工場では、アメリカの解放者たちは自分たちの軍用車両の修理場を立ち上げた。工場と周辺地域で彼らはクルマの部品や作りかけのボディを見つけ、この工場がまだ自動車生産を継続できるという可能性を認識した。

 1945年5月、第9軍本部は「フォルクスワーゲンジープ」の組み立てが200人の労働力によってVW工場で始まったと司令部に報告した。当初、アメリカ人は元検査監督官であったルドルフ・ブローマンを工場長に任命した。米軍の機動性ニーズを満たすために、非常に不安定な状況下にもかかわらず合計133台のキューベルワーゲンが組み立てられ、これを連合軍が使った。これらの車両は旧兵器工場が民間の車両工場へと転換を開始したことを物語る証拠だった。

 そしてVW工場での車両生産は1945年6月にイギリスによって継続された。進駐してきたイギリス軍はアメリカ人がいた居住区に引っ越し、アメリカ人から都市とVW工場の責任を引き継いだ。まだ厳しい状況下だったが、VWタイプ1、ビートルの民間シリーズ生産が1945年のクリスマス直後に始まった。

解放後、フォルクスワーゲン工場でキューベルワーゲン(タイプ82)を完成。

 以上がVW本社から届いたメールに綴ってあった75年前のストーリーである。VWの設立は1937年である。しかし、このときは国有企業であり、フォルク(大衆の)スワーゲン(クルマ)という社名のとおり、ヒトラー政権時代のドイツで国民車を製造するために設立された会社だった。KdFとはKraft(力) durch(〜を通じて、〜によって) Freude(喜び=フロイデ)という当時のナチスが組織したドイツ労働戦線の下部組織であり、国民に旅行、スポーツ、音楽などさまざまな余暇活動を「国家管理のもとに提供する」ことが仕事だった。

 しかし、現在我われが親しんでいるフォルクスワーゲンという企業は、1945年4月15日に米軍が解放した国有企業とはまったく違う企業だ。1945年末に生産を開始したタイプ1が初めての「自由フォルクスワーゲン」の商品であり、タイプ1が生まれるまで工場と人々を守ったイギリス軍が中興の祖である。

 VWタイプ1はKdFをベースにしたRR(リヤエンジン・リヤドライブ)の乗用車であり、設計はフェルディナント・ポルシェ博士である。KdFで設計されたRRの駆動系は、タイプ1にたどり着く前はドイツ軍のキューベルワーゲンとシュビィムワーゲンに流用された。ともにRRレイアウトで水平対向4気筒985cc空冷エンジンを搭載していた。キューベルワーゲンは、アメリカのジープと同様に戦場で使われた。シュビィムワーゲンはRRレイアウトのまま4WD化し、水上走行のためのスクリューを備えていた。キューベル=バケツとシュビィム=泳ぐ、である。セダンボディを乗せた派生型のType82Eも含めると、第二次対戦中の空冷RR軍用車の生産は7万台にのぼる。

 連合軍が解放したVW工場は、イギリス軍の統治を経て戦後のフォルクスワーゲンAGとなる。1945年6月にウォルフスブルク市へ着任し、米軍から統治を引き継いだアイヴァン・ヒルスト少佐は、本来ならこの地を統治するはずだったソ連に町も工場も譲らなかった。このあたりの物語は、かつて筆者がウォルフスブルクを訪れたときにもらった社史に書かれている。

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