「隣に座っている人」を傷つけない。VWのEV、ID.3に採用されたセンターエアバッグとは何モノか?
- 2020/10/26
-
牧野 茂雄
VW(フォルクスワーゲン)の電動車「ID.3」が、欧州の自動車安全性アセスメントであるユーロNCAPで衝突安全性最高評価の★5つを獲得した。★5つそのものは珍しくはないが、その試験ムービーを見て目を引かれたのは、運転席と助手席の間に開いたセンターエアバッグだった。ファーサイド・オキュパント・プロテクションという新しい乗員保護要件への対策である。
TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)
2020年のユーロNCAPでは、側面衝突の際に運転席乗員と助手席乗員が接触するケースを想定したファーサイド・オキュパント・プロテクション(日本語に直訳すると反対側乗員の保護、以下=FSOP)について参考値の収集を始めた。現時点では「オマケ」であり、より進んだダミーが普及し始めた時点で正式項目に加えることが検討されている。
ダミーとは衝突実験に使う人体を模した人形であり、骨格はほぼ人体に忠実に作られている。とくに頭部、頚椎(けいつい=背骨の最上部、首の部分)、胸部は精巧に作られており、腰部、大腿部(太もも)、下肢、足首の精巧なパーツも開発されている。内蔵されるセンサー類は、最新のTHOR(ソア)と呼ばれるダミー【写真1】では144チャンネル以上におよぶ。
計測装置であるダミーの進化によって、従来は観察できなかった衝突試験時の人体影響がいくつも解明されてきた。THORダミーの性能は「画期的」と言われており、より多くの人体損傷データをもたらしてくれることが期待されている。また、側面衝突試験に使われるSID(サイド・インパクト・ダミー)の改良も進められており、これが実用化されると側面衝突時に「となりの乗員」に与える影響をかなり正確に計測できるようになると言われている。
改良型SIDの登場を前に、ユーロNCAPではFSOPの観察を始めている。どのようなデータを収集しているのかは明らかにされていないが、欧州でもっと権威のある「一般公開を目的とした自動車の安全性評価プログラム」であるユーロNCAPがFSOPに注目しているということは、いずれはEUの衝突安全基準にこの項目が追加される可能性が高いと見るべきだ。
今回、ユーロNCAPが公開したVW「ID.3」の衝突試験ムービーは、側面衝突のとき運転席・助手席の乗員が互いに「隣に座っている人」にどのような影響を与え、それを防ぐにはどのような対策が有効なのかを知るヒントを与えてくれた。そのムービーを紹介する。
今回のテスト車であるID.3は車両重量1857gk。バッテリーを大量に積むBEV(バッテリー電気自動車)は、ゴルフと同じCセグメントながら車両重量は通常盤ゴルフ7代目の1240〜1320kgよりかなり重たい。重たいと思ったゴルフR7速DSG仕様は1510kg、日本仕様のe−ゴルフは1590kgだった。車両重量の2乗に比例して衝突エネルギーは大きくなる。
ムービーから抜き出した静止画をご覧いただきたい。まず【写真2】は前面5対5(50%オーバーラップ)オフセット衝突だ。対向車がセンタラーンを超えて突っ込んできた、あるいは自車がセンターラインを超えて対向車へと突っ込んでいった。そういう場面を想定している。EU、アメリカ、日本ともに車両全幅のうち運転席側40%を前方の丈夫な固定壁に取り付けたDB(デフォーマブルバリア=衝撃を受けると変形するバリア)にぶつける6対4(40%オーバーラップ)オフセット試験が法規で義務付けられているが、ユーロNCAPではちょうど車両中心線までをオーバーラップさせる5対5試験を導入した。
この5対5試験実施に合わせ、MPDB(モービル・プログレッシブ・デフォーマブル・バリア)が採用された。昨年までは【写真3】のように重量のある固定壁にDB(デフォーマブル・バリア)を取り付けていた(写真はボルボ・カーズの設備)。このDBは旅客機の床材に使われているものの流用だった。アルミハニカムを縦にして、その上下に薄いアルミ材を貼り、ある程度の重量物を載せられる床材であり、その構造・強度がたまたま「クルマの前部に似ている」との理由でずっと使われてきた。
これに対しPDB(プログレッシブ・デフォーマブル・バリア)は、圧壊強度の異なる3種類のDBを重ねたもので、潰れるに連れて潰れにくくなるという特徴を持つ。より実際のクルマのつぶれ方に近いという。このPDBを4輪台車の前面に取り付け、台車が「走れる」ようにしたのがMPDBである。
前述の【写真2】は、衝突直前速度50km/hでの5対5オフセット(50%オーバーラップ)試験だ。EUと日本の前面オフセット衝突基準はいずれも56km/hでの試験を義務付けているが、ユーロNCAPは重量1400kgのMPDBを試験車とは反対側から50km/hで走行させ、反対方向から50km/hで走ってくる試験車にぶつけるという内容の試験に変更された。互いに50km/hだから相対速度100km/hという厳しい試験である。
6対4前面オフセット衝突と同様、5対5前面オフセットでも試験車両は運転席側の前方骨格だけでずべての衝突エネルギーを受け止めなければならない。そのときにキャビン内に乗員のための生存空間が残されるかどうかを見る試験だ。近年の乗用車はかなり成績がいい。衝突エネルギーを床、サイドシル、Aピラー経由でルーフへと多方向に分散させるマルチ・ロード・パスという設計手法を採り入れているためだ。
この前面衝突試験で計測されるおもな項目は、運転席に座らせたダミー(計測用の人体模型)の頭部・胸部・腰部に加わる加速度(G)、大腿部(太もも)・ひざ・脛骨に加わる荷重である。自動車メーカーによっては足首・下肢への荷重も計測する。乗員にダメージを与えるような大きな力がかかるかどうかをダミーに内蔵したセンサーで測り、その値をベースに安全度を判定する。
つぎの【写真4】は運転席と助手席にダミーを座らせた状態で運転席側の真横にMPDBを60km/hでぶつける側面衝突試験の様子だ。上から見たときにMPDBの中心がちょうど試験車のBピラー位置になるような状態で直角にぶつけている。
この側面衝突試験では、MPDBがドアにぶつかって急激な荷重を与えた瞬間にルーフ(屋根)側からカーテンエアバッグ、座席に内蔵されたサイドエアバッグ、それと運転席と助手席の間のセンターエアバッグが展開した。運転席に座ったダミーの頭部はカーテンエアバッブの効果で運転席ドアの窓ガラス(すでに粉砕されているが)に接触しないで済み、同時にサイドエアバッグの効果で運転席ドアへの接触も避けられた。そして助手席乗員の頭部は、センターエアバッグの効果で運転席乗員に危害を加えずに済んだ。あるいは自分の頭部をケガしないで済んだとも言える。【写真5】がその模様である。
さらに数ミリ秒の時間を経過した【写真6】では、MPDBが突っ込んできた方向にいったんは傾いた運転席ダミーと助手席ダミーが、今度はその反動で反対側へと傾いている。しかし、ここでもまだ展開した状態にある助手席ドアのカーテンエアバッグが助手席ダミーの頭部を受け止め、センターエアバッグは運転席ダミーの頭部を受け止めている。
FSOPとは、このように「隣の席の乗員に危害を加えない」ための手段であり、側面衝突時には乗員が横方向に大きく動かないように対処する手段を評価する。このとき役に立つのが、左右座席の間に展開するエアバッグだということは、今回のID.3の衝突試験からも推測できる。運転席・助手席のドアガラス側にカーテンエアバッグ、ドアに対してはサイドエアバッグがあるが、さらにセンターエアバッグを追加することで隣座席の乗員との接触機会を減らすことになった【写真7】【写真8】。
ただし、センターエアバッグの効果を正確に測定するためには、SIDの頭部に横方向を中心とした全方位対応の荷重計や加速度計を内蔵しなければならないはずだ。それが行なわれているかどうかは定かではない。ムービーで「それらしい効果」を確認するだけでは、ただの参考に過ぎず、科学的・医学的なエビデンスは得られない。この分野についての論議はこれからである。
- 1/2
- 次へ
|
|
自動車業界の最新情報をお届けします!
Follow @MotorFanwebおすすめのバックナンバー
これが本当の実燃費だ!ステージごとにみっちり計測してみました。
日産キックス600km試乗インプレ:80km/h以上の速度域では燃費...
- 2021/03/26
- インプレッション
BMW320d ディーゼルの真骨頂! 1000km一気に走破 東京〜山形...
- 2021/04/03
- インプレッション
日産ノート | カッコイイだけじゃない! 燃費も走りも格段に...
- 2021/02/20
- インプレッション
渋滞もなんのその! スイスポの本気度はサンデードライブでこ...
- 2019/08/11
- インプレッション
PHEVとディーゼルで燃費はどう違う? プジョー3008HYBRID4と...
- 2021/06/28
- インプレッション
スズキ・ジムニーとジムニーシエラでダート走行の燃費を計って...
- 2019/08/09
- インプレッション
会員必読記事|MotorFan Tech 厳選コンテンツ
フェアレディZ432の真実 名車再考 日産フェアレディZ432 Chap...
- 2018/08/28
- 新車情報
マツダ ロータリーエンジン 13B-RENESISに至る技術課題と改善...
- 2020/04/26
- コラム・連載記事
マツダSKYACTIV-X:常識破りのブレークスルー。ガソリンエン...
- 2019/07/15
- テクノロジー
ターボエンジンに過給ラグが生じるわけ——普段は自然吸気状態
- 2020/04/19
- テクノロジー
林義正先生、「トルクと馬力」って何が違うんですか、教えて...
- 2020/02/24
- テクノロジー
マツダ×トヨタのSKYACTIV-HYBRIDとはどのようなパワートレイ...
- 2019/07/27
- テクノロジー