かつてGMの担当者は「ホンダとのつながりができたことは神の思し召しだ」と語った。 なぜGMとホンダだったのか? GMとホンダの提携は「リスク分散」だ [ホンダとGM提携の舞台裏]
- 2020/09/14
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牧野 茂雄
去る9月3日、アメリカのGM(ジェネラル・モータース)とホンダは北米市場での戦略提携について合意したと発表した。ことし4月には、両社でBEV(バッテリー電気自動車)を共同開発し、GMの工場で両ブランド向けモデルを生産するという協業を発表している。今回はプラットフォームとパワートレーンの共同開発・共同使用という、いわば自動車メーカーとしてのコア事業にまで協業を拡大させることでの合意だ。しかし資本提携は考えていない。そこには「世の中がどっちへ転んでもOKにしたい」という意図が見える。
TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)
1999年12月にGMは、ホンダからV型6気筒3.5ℓエンジンとAT(オートマチックトランスミッション)をセットで購入する契約を結んだ。実際の供給は2004年8月に始まり、サターン「ヴュー(VUE)」というSUVモデルに搭載した。契約期間は5年間だったが、当初の購入予定数だった9万基を大きく下回る5万基にとどまった。
ホンダがGM向けに出荷したエンジンは、カリフォルニア州のULEV=ウルトラ・ロー・エミッション・ビークル排ガス規制に適合しており、GMは自社でこの代替エンジンの量産が始まるまでの「つなぎ」としてホンダ製を採用した。サターン・ヴューは韓国・大宇自動車が製造を担当するモデルであり、本来なら2000年に生産開始の計画だったが、2000年に大宇自動車が破綻したことで生産計画が遅れたという経緯がある。
なぜ、GMがホンダにエンジン/トランスミッションをセットで製造依頼したのか。当時、筆者は両社に公式あるいは非公式に理由を尋ねたが、もちろん、日本と韓国が地理的に近いという事情もあった。ただし、パワートレーンを海外出荷する場合は厳重な梱包が必要なものの、梱包してしまえば輸送距離はあまり関係がない。したがって単純に日本と韓国の間の距離的要件だけではなかった。2000年前後の自動車業界には「他者と組んでみる」という空気が流れており、そのムードが経営にも影響を与えていた。少々長くなるが、GM=ホンダの戦略提携の背景を、時代を遡って説明する。
大宇自動車のルーツは1937年設立の國産自動車(韓国語読みはグクサンチャドンチャ)である。セナラ自動車と社名を変えてからは日産と、新進自動車になってからは新三菱重工およびトヨタと、それぞれ提携していた。1972年にトヨタとの提携が解消され、GMが資本参加して社名はGMコリアになるが、その4年後の1976年に韓国産業銀行が資本参加しセハン自動車となる。
しかし、所有者が変わってもこの会社はGMとの提携を続けていた。セハン自動車が1976年の誕生後に生産開始したのはいすゞ・ジェミニ、エルフだった。いすゞは1971年にGMと資本提携し、ベレットの後継モデルとしてGMから「Tカー」プラットフォームの供給を受け、これを「ベレット・ジェミニ」として販売していた。つまりジェミニは当時のオペル・カデット、ボクソール・アストラと兄弟車であり、大宇はGM極東展開部隊としてのいすゞの支援によってジェミニのKD(ノックダウン=部品をすべて輸入し組み立てだけを行なう方法)組み立てを1976年に開始した。
そのわずか2年後の1978年、今度は韓国産業銀行が所有するセハン自動車株を大宇財閥が買収した。社名は大宇自動車になったが、GMとの関係はそのまま続いた。1991年に大宇自動車は、GMグループ企業だったスズキから軽自動車の供給を受けることになり、スズキ・アルトを大宇・ティコとしてKD生産開始した。
その後、韓国自動車市場の拡大を受けて大宇は、ホンダとの間で2代目レジェンドのKD生産契約を結んだ。大宇はこのクルマを「アルカディア(ARCADIA)」と名付け1994年組み立て・販売を開始した。ちなみにウィキペディアには「アカディア」と記されているが、英語表記はARCADIAであり、アカディアは韓国での一般的な発音である。筆者が大宇の役員にインタビューしたとき、流暢な英語を使う秘書の女性は「アルカディア」と発音した。
大宇がホンダを選んだ理由は、日本のGMグループ企業だったスズキといすゞが3.0ℓクラスのエンジンを積むセダンを持っていなかったことがいちばん大きい。GMがトヨタと日産に打診したかどうかは正確にはわからないが、かつて大宇の前身と提携していたトヨタと日産は、両社OBに訊くと「約束を守らない韓国側の傍若無人さに呆れた」という。マツダは起亜自動車に出資していたし三菱は現代(ヒョンデ)自動車と深い関係があった。残るはホンダ、ということだったのだろう。
いずれにしても、大宇はGMの仲介でホンダ・レジェンドを得た、GMが間に入ったことは当時の大宇から筆者は直に聞いた。これで現代は三菱デボネア、起亜はマツダ・センティア、大宇はホンダ・レジェンドと、いずれも日本メーカーのフラッグシップ・モデルを量産するに至った。ところが1997年に通貨危機が韓国を襲い、韓国自動車産業も大混乱に陥る。2000年に大宇自動車は経営破綻し、その資産はGMが引き継いでGM大宇自動車技術という社名になった。
その直前、1999年12月にGMは富士重工(現スバル)に20%を出資する資本提携を行なった。これは日産自動車が保有していた富士重工株であり、防衛産業でもある富士重工の株が得体の知れない企業に渡るのを防ぐため、経済産業省および当時の政権の判断として「信頼の置ける同盟国の老舗企業になら譲渡やむなし」との結論に至った結果の譲渡だった。日産がルノー傘下になるにあたり、防衛産業との関係は清算された。
ホンダとGMが初めて顔を合わせたのは、意外にも大宇自動車という韓国企業でのことだった。アルカディアのKD組み立てにはGM本社も興味を示し、ホンダとGMの技術者が交流を持った。筆者が1994年にGMのアジア太平洋部門にインタビューした際、GMの担当者は「ホンダとのつながりができたことは神の思し召しだ」と語った。
2000年1月のNAIAS(北米国際自動車ショー=通称デトロイト・ショー)で筆者が驚いたのは、GMブースに飾られていた1台のクルマだった。GMのデザイナーはこう言っていた。
「スバルがウチと資本提携すると聞いて、ウヮオ! すごいじゃないかと思った。GMにはスバルのファンが多いんだよ。とくに技術部門にね。で、会社に頼んでスバルからレガシィを1台もらった。それをこういうふうに作り変えたんだ」
GMのデザイン部門が、会社同士のジョイントビジネスを待ちきれずに、ほとんど勝手にショーカーを作ったのだ。日本の自動車メーカーではあり得ないことだ。このころ、GMのリチャード・ワゴナーCEO(最高経営責任者)はスバルだけでなくイタリアのフイアットも傘下に収め、たしかにGM社内のムードも良かった。
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