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シティが町のイメージを変えた! クルマ新時代の到来 | 1981年第24回・東京モーターショー 中編 【東京モーターショーに見るカーデザインの軌跡】

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東京モーターショーの前日1981年10月29日、新宿センチュリーハイアットで行なわれた発表会の模様。

80年代に入って最初の東京モーターショーとなった第24回(1981年)は、話題に溢れたショーだった。ピアッツァのようなスタイリッシュなモデルと全く対照的なのがホンダ・シティ。短くて背の高い、おもちゃみたいなモデルも市販車として登場した年だった。

初代シティがホンダブランドを確実なものにした!

前回はいすゞ・ピアッツァでページを使い果たしたが、1981年は語らなければならないクルマがまだまだある。
今回とりあげるのは、デザインインパクトが大きかったホンダ・シティだ。モーターショー直前に都内のホテルで発表し、機運を盛り上げての展示であった。
作戦は大当たりしマイカー族候補の方々によって黒山の人だかり、近づくのが大変な程だった。

第一印象は「まるでチョロQ !」、呟いたかどうかは覚えてないが1980年頃には私も2台ぐらいは持っていた。
シティのデフォルメ感は完成度が高く、デザインの細かな気配りとともに手慣れたディテール造形が新しい知的な可愛さを見事に創り出していた。
これからの都市型コンパクトカーは「こんなカタチです」というメッセージをデザインでこれほど明確に表現した車はめったに無い。

トールボーイと呼ばれる全高の高いスタイルが印象的。しかし実際の全高はわずか1470mmでしかない。全長が3380mmと短いことが全高を低く見せる要因でもあった。

さっそく優れたデザイン処理をご説明しよう。まずは全ての基本であるプロポーションの設定だ。短い全長に必要な居住性を実現するにはパッセンジャー(乗員)の座る姿勢を高くすれば足元空間は節約できる。しかしルーフは高くなってしまうため普通に考えればクルマはカッコ悪くなりやすい。そこで徹底したコンセプト構築を行い、全長が短くて背が高いスタイルをカッコよくまとめるため「トールボーイ」という名キーワードを掲げたのであった。

キーワードの設定はカーデザイン以外でも、商品開発の現場では重要であり、分かり易く的確な言葉ほど効果は大きいのである。スタッフ全員が共通イメージを持つことはブレない開発にもつながり効率化が図れる。

トールボーイスタイルで重要なのは何と言っても安定感である。シティは正面から見ると絶妙にバランスの良い台形をしている。これ以上傾斜を付ければ天井が狭くなり、ヘッドクリアランス(ドライバーの頭と天井やドアガラスとの距離)が成立しない。またその主断面(前回を参照)のカーブが最適で美しい曲率なのである。平らすぎると薄っぺらな感じになり、丸すぎれば太って見える。この辺りも自動車のカタチを知り尽くしていてセンスの良さが光っていた。

パワーウォーズの時代にわずか1.2リットルのNAエンジンで登場。また、荷室に搭載できる50ccバイク「モトコンポ」も同時に発表。今でいうラストワンマイルを担える存在だった。

もう一つはボンネットの傾斜だ。フロントの先端を極力下げたことによりスポーティーで敏捷なイメージを創りだしている。そして極め付きがフロントのホイールハウスはそのままにフェンダーの上部を先端に行くにしたがって幅を絞るといった造形の“技”に着目したい。これがカッコいい!これこそ現代版Topolino(ちびネズミ)でありチョロQだ。可愛いい!

また、プレスラインも強度上必要な最小限にとどめ、最近のミニバンのような装飾的な派手さが皆無で、いかにも知的なプロダクトデザインであった。インテリアも同様で機能重視の堅実なデザインがヨーロッパ的で、おしゃれな若者たちを虜にしたのだ。

ところで、コンセプトは広告にも貫かれていて都会的であった。テレビコマーシャルでは「ホンダ!ホンダ!ホンダ!」と現代のラップ風におどけて行進するイギリスの人気バンド、マッドネスが話題となり、子供達だけでなく忘年会の余興でサラリーマンが真似をしたほどであった。

シティのインパネ周り。ちょっとドイツ車的で実にシンプル。足元広々で、おしゃれな感覚に溢れる。
1982年に発表のシティターボ(左)、そして1983年にはシティターボII 、愛称 "ブルドッグ” (上) も発表された。またこのブリスターフェンダーボディをベースとしたカブリオレも発表されるなど、ワイドバリエーションを誇った。

ちなみに1983年にはターボⅡが登場。前後とも太めのタイヤとブリスターフェンダー(膨らませたタイヤカバー)のデザインがめちゃくちゃカッコよかった。数年前に登場しカーマニアの度肝を抜いたルノー5ターボ並みのド迫力で、ますますホンダのイメージは良くなった。

そんなわけでポイントのみの解説になってしまったが、ホンダブランドを確実なものにしたのは初代シティだと私は確信している。本田宗一郎が亡くなる約10年前、彼の精神が製品に色濃く反映されていたことが読み取れる最後のクルマであったと私は思うのである。




おまけのまめ知識 by Ken

1970年代後半から燃費の良い日本車が北米で人気となり、いわゆる自動車貿易摩擦が始まりました。1981年はデトロイトでカローラが労働者たちにハンマーで叩き潰されるニュース映像がテレビから流れ、日本は輸出台数を自ら制限する「自主規制」をせざるを得ませんでした。そんななか、CVCCエンジンの進化系1.2リッターCOMBAXエンジン、出力は67psで燃費はリッター20㎞越えというシティが登場したのでした。
1982年にはシティ・ターボが発売され100psの高出力にもかかわらずリッター17㎞を達成し、現在まで続く“高出力低燃費のホンダ”を不動のものにしたモデルでもあったのです。

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